2012年01月18日
あれから17年
今から17年前の1995年それは忘れられない年である。
1月17日、阪神淡路大震災のとき僕は大阪(豊中市)で被災した。賃貸マンションの4階に住んでいたが多くの家財が壊れた中、家族に怪我がなかったのは不幸中の幸いだった。長男3歳、次男は生後6ヶ月の頃である。
その1ヶ月半後、僕は会社を起業した。阪神淡路大震災が僕の背中を後押しした。人生は1回だけなのだと、後悔をしてはいけないと夢を追いかけた。
あっという間の17年だった、昨年、東日本大震災の年、僕はまたひとつの大きな決断をした。大きな決断をするとき、僕はいつも最後はひとりで決断を行う。自分の人生、最後は自分で決めなくてはならないと考えているからだ。
50歳を過ぎて早や2回目の年を越した。あと8年で還暦を迎える。これからも悔いのない決断を下していきたいと思っている。
1月17日、阪神淡路大震災のとき僕は大阪(豊中市)で被災した。賃貸マンションの4階に住んでいたが多くの家財が壊れた中、家族に怪我がなかったのは不幸中の幸いだった。長男3歳、次男は生後6ヶ月の頃である。
その1ヶ月半後、僕は会社を起業した。阪神淡路大震災が僕の背中を後押しした。人生は1回だけなのだと、後悔をしてはいけないと夢を追いかけた。
あっという間の17年だった、昨年、東日本大震災の年、僕はまたひとつの大きな決断をした。大きな決断をするとき、僕はいつも最後はひとりで決断を行う。自分の人生、最後は自分で決めなくてはならないと考えているからだ。
50歳を過ぎて早や2回目の年を越した。あと8年で還暦を迎える。これからも悔いのない決断を下していきたいと思っている。