2016年03月11日
あれから5年
5年前の午後2時46分、東日本大震災が起こった、先ほど黙とうをしたところだ。月日が経つのは本当に早い。特にこの5年間はとても早かった気がする。当時、僕はまだ前職(ジェイエムテクノロジー株式会社)の社長として忙しい日々を送っていた。僕がその時いた場所は福岡の西鉄ソラリアホテルだった。ちょうど何かのセミナーのパネリストとして檀上でお話しをさせていただいていた時だったと記憶している。
あの時の光景や言いようのない哀しみを終生忘れることはないだろう。僕は被災はしなかったけれども自分の人生を大きく変えた出来事となった。その年の夏、僕は重大な決断を下すことになる。大震災から5カ月後のことだ。起業した会社の株を売却するという決断をした。
大震災から2年後の2013年3月、起業家支援の会社を立ち上げた。以来10社以上のベンチャー企業に株式投資や社債の引き受けをして感じたことはベンチャー企業を支援する難しさだ。目まぐるしく変化していく社会の中で生き残っていくことは難しい。支援で出来ることと出来ないことの境界線も良く分かった。
そして再び55歳の3月、新たなベンチャー企業を自ら立ち上げようと思っている。60歳のときの3月までの5年間を全力疾走してみたい。この3年間は比較的のんびりとした時間が流れていたように思う。新たに起業することを何人かの人に話すと驚いていた人もいたが、やはり僕の中のベンチャースピリッツが僕を動かすのだろう。起業家支援の仕事からは少し遠ざかるけど、もう一度走り始めよう。
あの時の光景や言いようのない哀しみを終生忘れることはないだろう。僕は被災はしなかったけれども自分の人生を大きく変えた出来事となった。その年の夏、僕は重大な決断を下すことになる。大震災から5カ月後のことだ。起業した会社の株を売却するという決断をした。
大震災から2年後の2013年3月、起業家支援の会社を立ち上げた。以来10社以上のベンチャー企業に株式投資や社債の引き受けをして感じたことはベンチャー企業を支援する難しさだ。目まぐるしく変化していく社会の中で生き残っていくことは難しい。支援で出来ることと出来ないことの境界線も良く分かった。
そして再び55歳の3月、新たなベンチャー企業を自ら立ち上げようと思っている。60歳のときの3月までの5年間を全力疾走してみたい。この3年間は比較的のんびりとした時間が流れていたように思う。新たに起業することを何人かの人に話すと驚いていた人もいたが、やはり僕の中のベンチャースピリッツが僕を動かすのだろう。起業家支援の仕事からは少し遠ざかるけど、もう一度走り始めよう。
Posted by 植木 一夫 at 16:20│Comments(0)
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