2008年10月24日

貸し渋り

最近ちまたで貸し渋りなる言葉を良く聞くようになった。もう10年くらい前の話になるが極端な貸し渋りの時代があったと記憶している。当時当社の取引銀行は某地方銀行であった。本社がまだ大阪時代の出来事である。

その某地方銀行は苦しい時に良く助けてくれた。夏と冬、年2回賞与資金を用立ててくれていた、支店長とも仲が良かったのであるがその支店長があるとき転勤となる。会社の業績は悪くはない、さして心配もしていなかったのだが11月のとある日、唐突に今回の冬の賞与資金は融資出来ないと新支店長から言われた。当時はまだ会社の規模も小さく吹けば飛ぶような零細企業である。社員の賞与を出さないわけにはいかない、が資金の目処は立たない。

今まで約定どおりに返済してきたのに突然手のひらを返されるとはこういう事なのか、現実は厳しい。新規の取引口座をつくるのに近くの銀行10行に会社案内と名刺を置いてきた、だめで元々である、何もしないよりはましだ。ある都市銀行の担当者が僕の置いた名刺をたよりに来社した。なんとか支店長に会わせてくれないかと懇願した、願いは叶った。

現在の経営状況、今後の夢など何を話したのかは良く覚えていない、が熱意だけは伝わったのかその支店長は賞与資金の融資を引き受けてくれた。その後会社の入出金口座は全てその都市銀行にうつした。現在もその銀行とは名前こそ変わったものの取引を継続させていただいている。

会社というものは赤字ではつぶれない。しかし資金繰りに行き詰ったときにはたとえ黒字の会社でも危うくなるときがある。現在、世界同時不況の様相が色濃くなってきた。何が起きるか分からない、何が起きてもおかしくない時代であるように感ずる。出来ることは速やかに手を打つ、動くべき時に動く、今こそ経営者の資質が問われているような気がする。

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Posted by 植木 一夫 at 08:13│Comments(0)フラッシュバック
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